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加古川・神野町で「護摩焚き」行事 互いの近況確かめ力合わせるきっかけに

護摩たきの様子

護摩たきの様子

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 加古川市神野町の西之山地区で7月7日、「行者堂護摩(ごま)焚(た)き」が行われた。

行者堂内で読経を行う参加者

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 7月の第1日曜に毎年、日岡公園グラウンド東にある行者堂近くで地域住民の1年間の無病息災を祈るために行っている同行事。同地区の8つの隣保(りんぽ)が持ち回りで行事運営を担当している。行者堂内には約10センチの木造の仏像が2体納められている。

 地元民でも起源を知る人は少ないという。神野町町内会長の坂田重隆さんと同町に住む坂田雅文さんは「1631年頃に隣の石守地区から町内が分かれた際に、行事をそのまま持ってきたと聞いている。石守地区に江戸期当時の文献が残っている」と話す。現在72歳と83歳の2人によると、子どものころは各家で農耕用の牛を飼っており、護摩焚きには連れてきた牛も煙を浴びて健康を祈ったという。「昭和30年代までは山伏を呼んで、ほら貝の鳴る音をたよりに人が集まってきた」とも。

 天候に恵まれたこの日は、地元民約30人が参加。ほら貝の音を合図に堂内で般若心経を唱えた後、火を約2メートル四方の護摩壇にくべると勢いよく燃え広がった。護摩壇では1年間の厄よけとして、地区の入り口8カ所に建てられていた御幣(ごへい)も燃やされた。護摩の後には新しい御弊が各隣保に建てられた。護摩壇の周りを囲っていた縄は地元民が各家庭に持ち帰り、玄関に祭るという。

 今回担当した隣保長の吉水清美さんは「大変だが、雑談の機会にもなり、みんなの近況も分かる。力を合わせるのもいい」と話す。次年度へ引き継ぐマニュアルも用意する。御幣の作り方は写真と共にセンチ単位で図面を残す。お供え物選びからお堂周りの清掃方法、護摩壇の作り方も細かく写真で説明され、最後は打ち上げのお茶会で締めくくる。

 吉水さんは「この地区ではほかにも行事があるが、どれも一人ではできない。みんなが力を合わせることで疎遠にならず、おかげで住みやすくなる。これからも続けていきたい」と笑顔を見せる。

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